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▼yさん:
>(追伸)
>1960・70年代、目の前の腎不全患者を救いたいとの思いで患者と一緒になってセロ
>ハンを貼った機械で一心不乱に透析治療に邁進された医師、看護師、技士及び、患者たち
>の血のにじむような苦労と努力によって今日の透析があると認識しております。
小生、1960年生まれです。
1970年頃、10歳くらいの時に近所の『お兄ちゃん』が腎不全になり、移植を受けたけど上手くいかなくて、透析をしないといけないという話を聞いた記憶が有ります。
嘗て小生も『全腎協』総会でお話をさせていただきましたが、草創期の透析医療に関わられた方達は本当に大変であったでしょう。もちろん、患者さんも。お互いに血反吐を吐くような努力をしたのであろうと想像します。
翻って現在の透析医療は、当時と比較すべくもない『楽な透析』が提供できる情況です。
逆に、40年前には想定できなかった高齢者や、多彩な合併症をお持ちの方でも維持透析が受けられるようになり、それはまた、新たな問題として提起されています。
幸いな事だと思うのですが、若年者〜壮年の透析導入が少なくなり、患者の社会的自立、就業を補佐するための治療だと言うモチベーションが下がってきている事も事実。
難しい問題ではあります。
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