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▼yossyさん:
>▼のいさん:
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>>維持透析のイメージを落としすぎ。
>私には、この部分だけで悪意を感じるには充分です。
「本論」にあたる部分は、だいたい全部聞きました。
全体としては「悪意を感じる」まではいかないかなあ…と思いました。
のい先生も言っておられる様に、「ノリがよくて軽すぎ」な印象は受けましたが。
ただ、今の若い世代には、こういったスタイルが受けがよいのかもしれませんが、
私は「1回分」聞くだけで、かなり疲れました。
>透析に対するイメージを落とす行為は、患者ばかりでなく透析医療に従事しているみなさんをもおとしめることにもつながると思うのですが、いかがでしょうか?
>移植後の生活のすばらしさは、透析をおとしめなくとも伝えられるはずですし、そうでなければ公共の電波に乗せるべきではないと思います。
そうそう、そうなんですよ。この部分には、大いに共感します。
良いものは良いと、それをまっすぐに言えばよいのです。
腎移植の良さを強調するために、不正確な情報を織り交ぜてまで、透析を悪く言うのは、
自社のよい製品を売るのに、他社の製品の悪口ばかり言う行為と似ています。
昔、政治社会問題を扱うブログに、「『移植天国、透析地獄』の様なキャンペーンはよくない」と
書き込みをしたことがあります。その時そのブログ主は、「そういうクレームをつけることは、
部外者にとっては、腎不全治療を巡る医療者・患者の『内ゲバ』にしかみえない」と言われました。
これはなかなか鋭い意見で、腎移植と透析は、本来は対立するものではありません。
それなのに、一方がもう一方を貶しているのは、部外者から見れば、確かに「内ゲバ」でしょう。
だいたい慢性腎不全患者全員を腎移植で救うことは困難であり、またその必要もないわけです。
従って、透析治療を受けざるをえない患者は、移植までの繋ぎを含め、いなくなることはありません。
透析を受けながら生活する人間にとっては、透析治療を肯定的にとらえて生きることが重要で、
透析になる前から「負のイメージ」、それも「誤った『負のイメージ』」を植え込まれることは、
治療の出発時点(それ以前)から患者は、大きなマイナスの荷物を背負うことになります。
透析で元気で長生きするために、身体的にもっとも重要なのは「しっかり透析」ですが、
精神的にもポジティブに生活できるかどうかで、結果は大きく異なってくると思っています。
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