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▼keiちゃんさん:
>取り違えていたらすみません。が楽しんでいるという発言が気になりました。そもそも治療に関しては医師と患者本人とが話し合って選択することだと思います。第三者があれこれ言うのは論外かと・・・
>がんと闘っていらっしゃる方々に対して失礼ではありませんか?
keiちゃんさんは不快な記述だと感じられたのですね。
遺憾に思いますので、説明を試みて見ます。
”楽しんでいる”はリンク先NATROM先生のブログ記事コメント欄でNATROM先生が発言されています。
その趣旨は医療ネグレクト、標準的医療からの逸脱を誘う言論に対抗するNATROM先生の言論活動について先生自身の心境を述べたものです。
NATROM先生が対抗しているのは患者さんではなく、患者さんを誤導しようとする言説や商売です。
個別の医師、患者関係に介入することを楽しんでいるのでは無いと私は読みました。
NATROM先生の言論活動は私的ではありますが公益性のある活動と私は感じます。誤った言説によって適切な治療を受ける機会を失う方が出ないように努力されておられる。こうした活動が時には徒労に終わるように見えても楽しいと述べておられると読みました。
リンク先記事およびコメント欄をお読みいただき文脈、趣旨をご確認ください。
>民間療法等から病院にやってくるのではなくて現在の医療の最後の治療に限度を感じて民間療法等に移行すると言うことのほうが正しいように思いますが。
”現在の医療の最後の治療に限度を感じて民間療法等に移行する”
このような方が民間療法等に移行された後に結局、病院での治療に戻るのです。
民間療法等の携わる方たちには人の最後を看取る設備、人手、ノウハウ、意思がありません。
民間療法、代替療法の場で手に負えない合併症が生じたり、苦痛のコントロールができなくなる、利益を上げることができなくなると患者さんは投げ出されてしまします。
ですので最後は患者さんには不本意かもしれませんがどこかの病院に行き着きます。
このような状態を見ますと、通常の医療を続けていればまだより良い状態を保っていたはずと感じたり、根治も狙える機会があったのにと感じます。
>がん治療を実際に受けていらっしゃらない方々からの意見はどうかと思いますが。ご自分たちが癌に侵された場合、どうされるのかお聞きしたいですね。
医療に限度があることは一般の方よりも知っている所です。
自分ががんになった時にどうするか、
1,がんがあっても幸せに感じられる時間が増えるように努力する。
そのために
2.標準的医療を基本に考える。根治が狙えるなら、積極的な治療(手術、抗がん剤、放射線療法)を選択する。
3,根治が困難であることは癌に限らず疾病一般に普通のことですからこれは受け入れる。この場合は生活の質の良い延命効果を優先して治療を選択する。これも、手術、抗がん剤、放射線療法を選択することがあります。
4.自分の個別の事情に合わない標準的治療は採用しないこともある。結果的に栄養維持、鎮痛剤、リハビリしか受けないこともありえる。
5.民間療法、代替療法を試す場合でも標準医療を中心とした治療から離れない。
標準的治療、一般的治療に限界はありますが根拠、基本的科学知識から逸脱した民間療法、代替療法より良いと確信があります。
>評価するに値しません。癌患者に対して失礼かと存じます。ちなみに私は透析患者でがん患者でもあります。腹立たしい討論です。治療の真っただ中にいる身では、腹が立つばかりで何のメリットもない討論ですね。癌に浸されたときにはたして同じことが言えるのか、その時にまた投書なさってください。
最終段落の表現から、keiちゃんさんの感情の動きが伝わります。
このような文を読みますと私も感情が波立つのを感じます。
私も同じような文を書きたい衝動に駆られますが自重します。
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